TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)の歴史は、1974年にアメリカのTSR社からDungeons&Dragons(R)(D&D)が発売されたことによって始まり、今日まで様々なシステムがジャンルを問わず発表されている。
TRPGは他のジャンルのゲームと違い、遊び方が個人の主観によって異なる、非常に曖昧なゲームである。
そのため、共通して根幹となるルールといえば、「ゲームマスターとプレイヤーがいて、シナリオを進める」ということ以外存在しない。トランプはカード枚数が決まっている、などの制約がないため、RPGをプレイするのに必要なルールはそれぞれが一から作らなければならない。システムデザイナーは、こうした混沌としている状況を、システムを構築することによって秩序ある世界に統一しているのだが、各人によって要求するものが異なるため、全く違うシステムができ上がる。
また、時代の流れによって要求されるニーズというのも変わっていき、それがシステムの内容に顕著に現れている。
1974年にD&Dが発表される前のRPGの前身となっていたのは、ウォーゲームなどのシミュレーションゲームだった。
その中で「キャンペーンゲーム」と言われる、一つの長大なシナリオとして設定されたいくつものシナリオ設定でゲームをすすめる遊び方があり、これがRPGの原点となっている。例えば、第二次大戦を舞台背景に局地で繰り広げられる作戦のひとつ、という設定のシナリオを多数用意し、勝利如何によって次に行うシナリオを変えたりしてゲームをプレイしていく、といったものだ。
この時ゲームに要求されたものは、「設定背景に基づく戦闘の再現」であろう。実際、シミュレーションゲームのものとは思えない、細かい背景設定が作られ、ゲームの臨場感を増幅するだけというにはもったいないくらいの物であったようだ。
D&Dが発売された当初、RPGですることといえばダンジョンの攻略とモンスターとの戦闘だった。シナリオはこの二つを行うための設定背景にすぎなかった。
たまに本場アメリカでのRPGの楽しみ方を耳にするのだが、ゲームマスターが凶悪で攻略困難なダンジョンを作って、プレイヤーがそのダンジョンで罠にはまるのを楽しみ、ストレス解消するのだという話だ。実際それを裏付ける話として、D&Dのオフィシャルモジュールの中にあったシナリオのひとつで、潜入する屋敷の正門にまで罠がしかけてあった、というありえない実話まであり、そういった楽しみ方をデザイナー側も推奨していたかのように見える。
現在でもアメリカではこのスタイルでRPGがプレイされているのかは疑問だが、日本でD&Dが発売された当時でも、日本のプレイヤーたちはそういったダンジョン攻略ゲームとしての側面でTRPGを見ていたことだろう。
D&Dは良くも悪くもルールの単純なシステムだった。単純なものを遊び尽くすと、人間というものは欲が出るもので、今度はより複雑な、たとえば複雑な行動、複雑なクラス大系などを求めるようになった。
そんなニーズに応じて、D&D自体のシステムも複雑化されていったが、その末に残った膨大なデータの処理が困難になってしまい、その複雑化したルール大系と本来のD&Dのルールを切り分け、複雑化されたルールの方はAD&D(Advanced Dungeons&Dragons(R))として発表された。
また、キャラクターの行動を全て技能化し、それによってキャラクターの能力や個性を作っていくベーシック・ロールプレイング・システムやRole Master系のシステムも、詳細な行動オプションを、という要求に応えた結果の一つだろう。
「自分のキャラクターを作ってゲームができる」というTRPGの性質は、別の方向性を生んだ。
設定された舞台でキャラクターが戦闘をする、という感じの側面が強かったRPGではあったが、戦闘をすればもちろん、キャラクターが死ぬことだってある。キャラクターが死ぬことは、今まで育ててきた努力が無になることを意味し、そのキャラクターとは永遠に別れることになる。そういった可能性は、プレイヤーに「キャラクターに死んで欲しくない」という感情をおこさせた。その感情によって、プレイヤーがキャラクターをいちユニットではなく、一人のキャラクターとして見るようになった。
D&D系やベーシック・システムを用いたシステムは、魔法や神の奇跡を行使できる、ファンタジーな世界をメイン題材にしたゲームが多いが、それを除いた根幹にあるキャラクターの行動システムは、緻密に作られれば作られるほど、リアル志向にならざるをえなかった。「ヒロイックな行動」は結局、普段思いもしない無謀な行動から始まることが多く、結果として成功したときに、それは「英雄的」と言われ祀られていた。
創作物の主人公としての「ヒーロー」は、仮面ライダーや戦隊ものといった特撮ヒーロー、アメコミヒーローやアニメのヒーローたちのように、特殊な力があったり派手な技をかましたりする、というのが20世紀後半以降におけるステータスになっており、それが「無茶な行動」とは認識されていなかった。
しかしこうしたヒーローの行動を従前のシステムで再現しようとすると、必ずどこかで無理が生じるのだ。ヒーローにとっては普通の行動も、普通の人間にとってみれば無茶な行動であり、そんなことをすればすぐ死んでしまうし、派手な技を使おうとすると判定に大きな負荷がかかる。
そこで「最初からヒーローを演じるシステム」として作られたのが、ツクダホビーから発売された「WARPS」である。
ルールブックの中でもキャラクターのことは「ヒーロー」と呼称しており、PC=ヒーローである、という前提条件の元に作られたシステムであることを強調していた。リアル志向なルールはほとんどなく、判定やレベルの基準も「ヒーロー基準」で設けられているため、ささいな行動に対しては判定の必要が特になくなっていた。
WARPSの最大の特徴は、ヒーローがヒーローらしく行動することができるように設けられた、ヒーローポイントである。これはヒーローが行う様々な行動について、ほぼ全てに使える万能ポイントで、失敗しそうな判定を成功させたり、必殺技を使用したり、HPを回復したり、と様々なヒーローっぽい要素に使えた。
WARPSは汎用システムのため、いくつかのジャンルのモジュールも次々と発売されたが、ヒーローポイントを使用できる、というところは変わっていない。
このヒーローポイントのルールは、後のさまざまなシステムでも少々ルールが変わったり、名前を変えたりして流用されている。
無電源ゲーム業界でシミュレーションゲームが下火気味になると、ゲームメーカーは次にRPGを前面に押し出してきた。
日本でTRPGブームが訪れると、ホビージャパン社を筆頭として、いくつもの会社から年間数十ものシステムが発表・発売された。
RPG専門の雑誌などでも数多くのシステムが紹介され、非商業ベースのオリジナルシステムを含めれば1,000本は軽く超えるであろう数のシステムが跋扈した。
しかしながら、システムと呼ぶにはあまりに煩雑すぎたり、あまりにコアな趣向のものが多く、長期にわたってプレイされたシステムはほんの一握りしか残っていない。
プレイヤーがキャラクターに感情移入する傾向をみせると、キャラクターの性格や行動原理など、個性が重要視される時代になる。
各メーカーではロールプレイ、とくに演技面でシーンの雰囲気を出すことを推奨するようになり、ロールプレイすることでボーナスが得られるシステムなども発表されるようになった。
顕著な例としては、ホビージャパン社から発売された「熱血専用!」がある。これは一人の主人公(ヒーロー)を演じるプレイヤーを、他のPC(フェロー)が命を賭して勝利に導くことを前提として作られたシステムで、ヒーローが必殺技を放つ際にフェローのプレイヤーがその技をロールプレイで解説することで技を放つ時のボーナスになる、というルールや、ピンチに陥ったヒーローに、檄を飛ばす、励ます、かばって死ぬなどのロールプレイをすることで、ヒーローの戦闘力を上げるルールなどが存在する。。
最近でも、この「ロールプレイ推奨」傾向のあるシステムはいくつか発表されている。
自分のキャラクターをヒーローにしたいという願望は、TRPGをプレイする者ならばだれにでもある物だろう。しかし、それは望まない形で否定されることがある。そのひとつが「ダイスによるランダム性」である。
ウォーゲームの延長であったRPG初期の時代は、戦闘で攻撃が当たるか外れるか、その確率を単純に楽しんでプレイされていた。しかし、プレイヤーがキャラクターに感情移入する傾向を見せはじめると、ダイスで決定されるランダム要素に弊害が生じてくる。
キャラクター作成時、D&Dなどのシステムではキャラクターの能力値をダイスでランダムに決定していた。しかしこれでは自分が望んだ通りの能力値にならないことが多く、満足のいく能力値になるまで振り直したりすることが多々あった。
そこで導入されたのが、「ポイント割り振り式」のキャラクター作成法である。
各キャラクターにキャラクターポイントとして決められたポイントがあり、そのポイントを消費してキャラクターを構築していくのである。「G.U.R.P.S」などではこのルールが導入されている。
キャラクターの成長時、ベーシックシステムなどの技能制システムでは、技能を上昇させるために上昇するための判定が必要だった。運試し的な要素が強いため、運の悪い人はいつまでたっても技能が上昇しない、という不公平な部分があったことは否めない。
そこで成長するためにある一定のポイントさえ消費すれば、成長可能である成長方式が導入された。これにより、ポイントさえあれば好きな時に好きな能力を上昇させられるようになった。また、「ルーンクエスト」や「クレギオン」などのように、ポイントを消費するだけで一定量上昇させるか、ポイント消費で成長ロールを振る権利を得るかを選べる、折衷型のルールも存在している。
ヒーローが「ここでキメル!」という行動を行ったとしても、判定が伴えば失敗する確率が存在する。プレイヤーはおろかゲームマスターですら判定するまで成功するか失敗するかはわからない。判定のランダム要素に関しては、そのスリルを味わうことが醍醐味とされることが多いが、本当にキメたいときに確実にキメられない、という不確定要素もあり、賛否両論であった。
ファーイースト・アミューズメント・リサーチ(F.E.A.R.)の鈴吹太郎氏は、そういったプレイヤーの意志によらない、不確定なダイスロールによるランダム要素を、トランプによる判定によって排斥した。判定にトランプを使用すれば、自分が次に起こす行動の達成度合が判定する前からわかる、という利点があり、プレイヤーの意志で判定の成功度を調節できるようになった。そうして出来たシステムが「TOKYO N◎VA」である。
「WARPS」では、ヒーローが繰り出す特殊な技を「必殺技」としてプレイヤーの思う通りに作ることが出来る。ただこれは、通常のシステムの延長上でしかなく、必殺技を普通の判定で回避される、などという可能性もあった。
「TOKYO N◎VA 2nd Edition」では、ヒーローたるキャストが、見せ場には必ずカッコよく見せるためのルール、「神業」が導入された。通常の判定の範疇の外に存在し、ルール的に絶対的な効果を持つ「神業系能力」は、その後「F.E.A.R.系」と呼ばれるシステム全般のステータスシンボルのひとつとして確立した。
システム乱立の時代も終わりを迎え、TRPG自体が下火になってTCGなど別のゲームに押され気味になってきた。
TRPG人口が減少傾向に陥った原因としては、「プレイヤー層の高齢化」がひとつ挙げられる。システム乱立の世代に学生だったプレイヤー層も、卒業して社会人になり、TRPGから足を洗う者もいれば、プレイしたくても時間が取れなかったり、メンバーの都合がどうしても合わなかったりすることで、TRPGから遠ざかっていったのだ。内輪でセッションをする者は減り、次第にコンベンションなどの公の場に流れていった。
そんなプレイ人口減少をたどる中、新たなプレイヤー層とマーケットの確保のため、F.E.A.R.が動いた。
TRPG人口が減少傾向にあるのは、プレイ環境に統一性がないのと、さまざまな問題があるため、とひとつひとつピックアップし、それを一つのシステムに盛り込んだ。
それが「TOKYO N◎VA」シリーズの第三弾、「TOKYO N◎VA Revolution」なのだが、このシステムの中では不明瞭であったり不満点であったりする要素を解消するためのルールが盛り込まれている。
コンセプトとして「TRPGでドラマを作る」という「N◎VA-R」では、アクト(シナリオ)がテンポよく進むのが理想で、その障害になるであろう「時間軸」の影響を少なくすることによって、どのキャストでも好きな時に好きなシーンに登場できるようになった。「登場判定」の導入である。2ndではこのルールがなかったため、シーン制にしたはいいが結局時間軸にとらわれてしまい、プレイ時間の短縮にまでは至らなかった。
また、シーンに最初からいるキャストをメインフレームに入れておき、そのキャストがシーンから去ればそのシーンは終了し、次のシーンに移る、という風にすることで、メインのキャストが関係のないところでぐだぐだと口論している様子などを強制的にカットし、プレイ時間を短縮することもできるようにり、コンベンションなど時間の限られたところで行うセッションでもスムーズに行うことが可能になった。
プレイヤーが嫌がることのひとつに「キャラクターシートが汚れる」ということがある。いくらキレイに使っていても、HPの増減があったり、金銭の入出があったりすると、頻繁に消して書いてを繰り返さなければならない。そうすると鉛筆の跡が残ったり、消し跡がのびたり、最悪シートがぐしゃぐしゃになってしまったりした。
それを嫌がるプレイヤーは、ルーズリーフなどの別の紙に変動した数値やデータ、セッション中得られた情報などを書きとめ、セッションが終わった後に必要な事項をキャラクターシートに書き写していた。
TOKYO N◎VAではこのことが最初から念頭に入っており、セッション前(プレアクト)で購入しておくアイテム、お金(報酬点)の増減、弾薬の残弾数などを書き込む欄があらかじめ用意されている「レコードシート」が導入されている。また、経験値を計算する際にいちいちルールブックを見なくてもいいように、経験値を精算するスペースも用意されているため、経験値がいまどれだけあるかなどは、過去にプレイしたセッションのレコードシートを見ればわかるようになっている。
従前のシステムでは、セッションをプレイしたあと得られる経験値は、そのセッションで使用したキャラクターに入るというのが世の常だった。その経験点がプレイヤーが得られるようにしたことにより、そのプレイヤーが持っている他のキャラクターにも、経験点を使用して成長させられるようになった。
また、経験点を貯めておき、その経験点を使って「最初から強いキャスト」を作ることもできるようになった。
TRPGが下火になった原因の大半は、「ゲームマスター人口の減少」である。なぜなら、プレイヤーはセッションをプレイしたことによってキャラクターを成長させるための経験点を得られるが、マスターはそのシナリオのホストを務めたとしても、シナリオ達成の満足感、というアナログな報酬しか得られないからだ。だからマスターをし続けると、同じ時期に作ったキャラクターが、他のキャラクターに成長で置いていかれるために、マスターをやりたがらない、という事態が生じたのである。
そのため、2nd Editionでは「マスタリングの指標になる」程度に導入されていた「ルーラー(マスター)への経験点」というルールを、プレイヤーが得る経験点と同じ扱いにすることで、ルーラーの持っているキャラクターに使用出来る経験点を得ることができるようになった。ルーラーの得られる経験点は、プレイ人数によってはプレイヤーよりも格段に多いため、こぞってルーラーをやるように仕向けたルール、つまりはルーラーをやるための「エサ」と認識している。
TRPG人口衰退前の全盛期、システムが乱立した時代に作られた数々のシステムは、たとえ同じメーカーだったとしても統一されたシステム・レイアウトが存在しない状態だった。
最近のステータスとなりつつある「F.E.A.R.系」と呼ばれるシステム群では、システムのルール自体は異なるが、そのシステムにおける要素のレイアウトはだいたい次のように、同じ感じで作られている。
能力値・取得できる特技などをテンプレート化されたクラスを一人のキャラクターが複数選び、その組み合わせでそのキャラクターの能力値や、取得できる特技などが決定する、というものである。TOKYO N◎VAシリーズで言うなら「スタイル」に相当し、各システム別の呼称で呼ばれる。
一般に取得する技能の他に、特定のクラスでしか取得できない特殊技能(特技)が存在する。大体がルールの中で影響を及ぼすもので、キャラクターの外見の特徴や身体能力を表わす特技なども存在する。
「神業」はTOKYO N◎VAでの呼称で、各システムによって呼び方は異なる。特技よりも絶大な効果を示すものであり、同じ神業系のものでしかその効果を打ち消すことができない。
キャラクターの持つ装備は、いくら高価なものでも、消費してしまったり壊れてしまったりすればただのガラクタ、というのが今までの通説だった。
「常備化」ルールは、入手したアイテムはいつでも持っていられる、というルールで、「常備化」されたアイテムは、キャラクターが常に持っている「愛用の品」であり、セッション中使ったり壊れたりしても、次のセッションが始まる前にはまた戻ってくる。銃弾をマガジンいっぱいまで撃ち尽くそうとも、次のセッションでは満タンの状態で始められるのである。
特技の項でも記したが、アイテムや特技の中には、そのキャラクターの特徴・身体能力・生い立ちを示すものもあり、経験点を使ってこれらを「買う」ことでキャラクターを構築していくのである。
企業エージェントや警察官など組織に属する職業のキャラクターは、自分がどのような組織に所属しているか明確にしておかなければならない。そこで、オフィシャル側で設定した組織・人物があらかじめ用意し、ルールブックにある程度メジャーな組織・人物名が羅列しておくことで、セッションの組み立てやキャラクター作成の際、このデータを流用して作ることでプレイヤー・ルーラー共に「組織を作らなければならない」という負担が軽減され、さらに全国規模で認知されている組織であるため、プレイ環境によらずキャラクターを持ち込むことができるという利点ができた。
これらのテンプレート化されたシステムレイアウトによって、システムとして共通認識を持つことが出来るようになり、今日「F.E.A.R.系」と言う言葉が生まれるに至っている。
「F.E.A.R.系」が世間に受け入れられ、スタンダード化していった理由として挙げられるのは、従来のシステムのようなややこしい計算や戦術がいらない、といった点も挙げられるのではないだろうか。
D&Dでマジックユーザーがファイアボールを唱える場合、敵だけが範囲に入るように、緻密な戦術運用が必要で、それをマスターに納得させる必要があった。
しかし「F.E.A.R.系」では、そういった範囲攻撃を行う際も、味方は範囲に「入るか」「入らないか」のどちらかでしかなく、範囲内全員巻き込むとされているシステムはあまり多くない。また味方が接近戦をしているさ中に射撃する、という行為は、射界が曖昧で味方に当たりかねない、という理由で敬遠されていた。しかし「F.E.A.R.系」では、そんなものを気にせずにいま味方が対峙している敵に対して銃をぶっ放したりできるのである。
こういったルールの簡易化によって、いままでそういったルールが煩わしいと感じていたプレイヤーに受け入れられるようになっていったのである。
「F.E.A.R.系」人気が上昇する中、F.E.A.R.以外のメーカーも続々と新作を発表した。
特に最近では、新紀元社が「ゲヘナ」「ガンドッグ」「扶桑武侠伝」などの新作を発表。富士見書房もトレーディング・カード・ゲーム「モンスター・コレクション」の背景設定を用いたTRPG「六門世界TRPG」のエクスパンションなどを発売し、「Role&Role」誌でこれら「F.E.A.R.系」以外のシステムの追加設定や追加クラス・サンプルキャラクターなどの掲載などのサポートをしている。
とはいえ、大半のシステムでマルチクラス制を採用していたり、戦闘のルールが簡素化されている(それぞれ一部システムを除く)ことなどを考えると、実状は「F.E.A.R.系」人気の流れに乗ったような風潮であると感じられるほど、似通ったシステムレイアウトを採用しているのは否めないだろうし、現在のTRPGプレイヤーに受け入れられるようなシステム構成を考慮した結果であると考えられるだろう。
初代D&Dが発売されてから現在(2006年現在)までの32年の間、消費者側のニーズとデザイナー側の欲求により、システムの方向性というのは様々な変化を遂げている。
しかし大ざっぱな方向性の流れはなんとなく見て取れるように思える。
初期の頃は、ウォーゲーム発端のシステムが多く、システムとしても戦闘を楽しめるためのルールとして作られていた。
TRPGが日本に渡り、国産システムが発表されるようになって、日本で独自のTRPG文化が確立していく。
アニメやマンガなど日本固有の文化などもTRPGの要素として取り込まれていき、戦闘システム主体からキャラクタープレイ主体のシステムレイアウトに変貌を遂げており、キャラクタープレイのコンセプト自体も「ヒーローになるために冒険をする」のでなく「完成されたヒーローを演じる」という風潮が強くなっている。
また、従来システムのガジェットの数は、よく言えば豊富、悪く言えば多すぎた。現在ではそのガジェットの数も抑えられている傾向にあるが、ガジェットの豊富さをウリにしている例外も存在する。
どちらが悪くてどちらが正しいかなどは、TRPGの性質上判断することは出来ない。商業ベースで発表されているシステムが、「商品」である以上、その時代の流行や消費者のニーズに敏感に反応して変化させなければならず、現在流出している商業ベースのシステム群は、そのニーズに応えた結果の産物であることに他ならない。
ただ言いたいのは、「TRPGのやり方に古いも新しいもなかろう」ということであって、今流行ってるのがこれだから、と従前のTRPGのやり方を排除したり、自分のプレイスタイルを確立している古参のプレイヤーに対して「古い」と批判する考えには復唱しかねるし、逆もまた然りだ。
そういった意味では、新紀元社の発表した「ガンドッグ」というシステムは「原点回帰」を目的としている感じが見え、古いプレイヤーとしては多少感心できる姿勢ではある。
ぶっちゃけわたしなどは「N◎VA-D」よりも「N◎VA-R」の方が断然システム的に好感を持てるし、ガジェットは選択肢が多い方が燃えるクチであるが、今のシステム全てを「全然ダメ」呼ばわりする気は無いし、昔のシステムだとてダメなものはダメだと言える。
要はプレイヤーがどの程度の方向性のシステムをカバーできるかという器の問題であり、それが狭い角度で偏っているのが現在のTRPG情勢であると言えよう。そのためその方向性を誤ったシステムやプレイヤーは、「異端」扱いされるのである。
システムの善し悪しを判断するのは、そういったシステムの方向性ではない。それはあくまでシステムの方向性であり、他人の好き嫌いで善し悪しが決まってしまう曖昧なものだ。
良いシステムかどうか判断するためには、作られたシステムが全てきちんと機能するように作られているかどうか、わかりやすいシステム用語などを用いてシステム全体がわかりやすくまとまっているか、などに着目したいところである。オリジナルの世界用語やわかりにくく複雑な判定ルールなどを採用すると、かえってシステムの質を落としてしまいかねないのである。