このコラムを打ち込み始めるちょっと前に、友人のサイトに潜り込んでひさびさに過去のコラムを読み返して見たんですが、ふと目に留まった題材がありました。本コラムはそのコラムをパクる形になりますが、元のコラムと管理人であるわたしの友人を批判するものではないので、ご了承ください。
で、その題材なんですが、トーキョーN◎VAのアクトで、ルーラーがシーンのはじめに「○○するシーンです」という宣言はどうよ?って話。
最近のシステムでは、場面毎が「シーン」という時間軸のない区切りになっていて、プレイヤーはいつでも飛び越えてくることができます。たぶんこのシーンの宣言は、余計なプレイヤーがシーンに登場しないための予防策ととらえることができなくもありません。
この「○○」の中には、二種類のものがあります。
ひとつは、プレイヤーが結果を求めるべき行動の宣言、もうひとつは、キャストが遭遇するシーンの結末です。
とりあえずハッキリ申し上げておきますと、しょっぱなにシーン内容の宣言は、如何な内容であろうともダメ。
プレイヤーの要望も聞かず、マスター本位で話を進めてはダメです。どんなシーンかを説明しておきたい場合は、こういう流れならいいんじゃないですかね。
RL:(シーンカードをめくって)じゃあ次はPC1のシーン。
PC1:はーい。
RL:何をするのかな?
PC1:○○のことについて調べてみようかと思います。
RL:OK、じゃあこのシーンは○○のことを調べるシーンということにしよう。
みたいな。
これならキャストの行動を強制するわけでなく、シーンに出る必然性のないキャストの登場を抑えることができますね。しょっぱなから「PC1が○○を調べるシーンです」とか宣言しちゃったら、もしPC1のプレイヤーにそんな気がなかったらどうしますか?プレイヤーは「え、調べなきゃならないの?」って戸惑うでしょ。
「その8 NPCの舞台裏」でも説明したように、シナリオの行く末、経過を暴露するマスターの行為は、プレイヤーのセッションに参加するモチベーションを下げる原因にもなるんです。
で、大切なことは、題目にもあるように、プレイヤーはマスターの奴隷ではないってこと。マスターのエゴのためにプレイヤーを望まぬ方向へ強制するのはマスターとして下の下の行為であると思います。かくいうわたしもやったことないとは言いませんが・・・○r2
マスターはあくまで「セッションの進行およびPCの行動の裁定係」なのです。神などでは決してありません。だから、プレイヤーが宣言する前にプレイヤーの行動をマスターが狭めてしまってはいけないと思うのです。
しかし、参考にした友人のコラムでも述べているように、「ヒロインがさらわれるシーン」とマスターが想定してシーンを構成した場合、何も言わなければ彼女を護衛するカブトのキャストは、ヒロインがさらわれないよう努力するでしょう。
それでいいんです。それが当たり前なんです。
PCが望まないネガティブなことをシーンでやろうとしている以上、それにPCが反発するのは当たり前の行為で、それを抑制する権限はマスターにはないと思ってください。
マスターの意図はどうあれ、TRPGのセッション内での、ルール解釈と判定結果以外でのマスターとプレイヤーのエゴのぶつかりあいは、マスターが譲るべきなのです。
でもそれじゃ、プレイが長引くし、思った通りのシナリオにならないじゃないかって?
当たり前でしょう。そんなものハナから期待しないでください。スムーズに行くことの方が稀だと思わなきゃ。
それでもシナリオを成り立たせるためには、ヒロインはさらわれなければなりません。と言う時にはどうすればいいんでしょう?
どういう状況であれ、「シーンが成り立たなくなるから神業使わないで」とか直接言ってしまってはダメ。そうやってシーンを強制されることによる、「良くないストレス」がプレイヤーに溜まるからです。
なので、マスターとしては「ここはヒロインをさらいたいんだよぅ」ということをいかなる手段を使ってでも間接的にプレイヤーに報せるといいんじゃないでしょうか。N◎VAであるなら神業づくが手っ取り早いでしょう。普通ならキャスト側の神業を一回打ち消した辺りで「あぁ、さらいたいんだな」とプレイヤーは気づいてくれると思います。もしシーンプレイヤーが気づかなかったとしても、舞台裏にいるプレイヤーの誰かが気づくでしょう。もし気づいていたとしても、「だが断る!」と意固地になって反発するプレイヤーもいるでしょうが、それで神業を全部使ってしまったとしても、それはマスターの責任ではありません。自分が悪いんです。
とはいえ、そのせいでプレイヤーのモチベーションが下がってしまうのは、マスターとしても望むところではありません。
わたしの考える最善の方法としては、「キャストと護衛対象のヒロインが待ち合わせるシーン」という風に宣言しておいて、待ち合わせ場所に着いたらヒロインはもうさらわれてたというものです。
その場にPCがいる限り、そのPCは望まないことには反発するでしょう。プレイヤーの温情を買うマスタリングなど、本来あってはならないことです。ですからここは、PCのいない間にさらわれることにしてしまえばいいんですよ。「黄色い悲鳴が聞こえた」とかありきたりの効果でPCを仕向けたり、ヒロインの護衛を頼んだ依頼者の怒りを買うなどしてPCに自責の念を植え付け、プレイヤーのモチベーションを上げる、というやり方もできます。
マスターはプレイヤーの「当たり前の行為」に対して怒ってはいけません。この場合、カブトがさらわれようとしているヒロインを救おうとするのは当たり前の行為であり、それを抑制するような言動は控えるべきでしょう。そういった意志はプレイの中で表現するべきです。
ただ、このやり方にはちょっとした欠点があり、会ったこともないヒロインを救うことに対してどうモチベーションを上げられるか?という問題があります。
そういう時にはシーンを二つに分けるなどしてヒロインの存在をそのPCの中で膨らませてあげることが重要となるでしょう。ポケットロンで直接話をするだけで、ヒロインへの感情を植え付けるには充分な効果があると思います。
さて、今度は逆に、マスターの意図もわかってくれないプレイヤーが神業づくでヒロインを救ってしまったら?
ここで重要となるのは、本来さらわれるべきだったヒロインが、さらわれなかったことによってこのセッションは失敗なのか?という点です。
もしこれで「失敗」とふてくされるようなマスターなら、そのマスターはクサレマスター、もしくは根性ナシ夫です。こういう時こそ、事前に用意したプロットが生きたり、マスター本人のアドリブ魂が萌え燃える時だと思いませんか?
実際、ヒロインを助けることこそが普通のヒーローのやるべきことで、別に咎めることではありません。「助けようとする」行為に対してダメ出しをする者がいるなら、そいつの方がチキン野郎です。
マスターは、その先の展開をもきちんと可能性として考慮に入れておかないとダメです。アドリブをする技量もさして無く、「さらわれる」以外の選択肢を考えていない一本道のプロットを組んでいるなんて言語道断。もっとよく考えてからそのセッションを起こすべきです。
トーキョーN◎VAは、たしかに「TRPGでドラマを作る」というのがコンセプトではありますが、それは「マスターが作ったクソ小説を元にした演劇」と同義ではないのです。F.E.A.R.ゲー以外のシステムでだって、プレイヤーとマスター如何によっては壮大なドラマを繰り広げることだって可能なんですよ。
F.E.A.R.でカバーされるシステムのオフィシャルシナリオは、「○○だった場合」と、本文の進行とは別の結果になった場合のことをたまに脚注で記してあることがあります。けどこれはあくまで「参考」であると思ったほうがいいでしょう。(オフィシャルの意向はどうあれ、です)
シナリオを読んで、どういう話にしたいかというのはマスター各々の考え方次第であり、本文と結果が違えたからといって、脚注に載ってなかったら「失敗」とか思わないように。
そういう時こそ脳みそをフル回転させて、あらかじめ考えておくか、突発的なアドリブでプレイヤーをあっといわせてやりましょうよ。
N◎VAにおけるルーラーは、「Ruler」の名が示す通り判定の裁定役であり、同時にストーリーテラーであります。storyteller=語り部ですが、この語り部が語る物語は、決して「あらかじめ出来た物語」ではなく、「これから出来る物語」を語る者であると考えると、今までのTRPGのゲームマスターとなんら変わりないでしょ?というのが解ると思います。
トーキョーN◎VAは特殊なシステムってわけじゃないんですよ。
ルーラーのやるべきことも特殊ってわけじゃないんですよ。
そこだけはわかってほしいと思う次第です。ちゃんちゃん。