筑後国(現在の福岡県南部)の刀工、三池典太光世の作で、加州前田家に伝来する二振りのうち、長い方のものを言う。
伏見城に秀吉の話し相手として加藤清正や黒田長政らが詰めていた折、千畳敷の廊下を深夜通ると刀の小尻を引っぱるという話を前田利家にすると、「臆しているからだ」と一蹴した。ならば行ってみろということで前田利家が行くことになるが、そのとき秀吉が持たせてくれたのが大典太である。
この太刀には、前田家縁りの姫が病になり、それに対する呪いとして枕辺に置くとたちまち快方に向かった、という逸話が諸説あり、病に対する護符としての力も持っていたと思われる。
三日月宗近とともに「享保名物帳」に所載されるほどの名刀で、天下五剣のひとつでもある。
「享保名物帳」とは、「享保の改革」で有名な江戸八代将軍吉宗が本阿弥光忠に命じて、享保四年に調査し、編纂したものである。234振りの名刀とされるものが掲載されている。
長さ65.8センチ 反り2.6cm
身幅広く元で約3.4B、表裏に、元で約もある幅広い樋をかき通し、佩き表だけには腰樋をそえる。
鍛 大板目肌、流れる。刃文 彎れ気味の直刃、小足ほつれを交える。鋩子小丸。
中心、生。目釘孔2個。「光世作」と三字銘。